まめの歴史

豆たちが来た道

日本でおなじみの大豆、小豆、ささげ、いんげん豆、べにばないんげん、えんどう、そら豆、落花生はいつ、どこからやってきて、栽培されるようになったのでしょうか。

日本の豆の来た道を調べてみると、ほとんどが中国を経由して伝わり、大豆が弥生時代の初期に、次に小豆が、えんどうやそら豆は8世紀頃伝わったとされています。

栽培については、農耕の開始とともに穀類と並ぶ作物として生産されるようになったといわれています。乾燥豆は貯蔵性が高いうえ、高たんぱくな栄養食として重宝されてきました。また、マメ科植物の根に共生する根粒菌の働きによって、地力(ちりょく)の維持・向上が望めることなどから、各地で栽培されるようになりました。

豆たちはこうして日本にやって来た

大豆
紀元前 弥生時代
ツルマメを起源とし、中国では数千年前から栽培されていた。日本へは弥生時代初期に、中国から朝鮮半島を経て、伝わったとされる。

小豆
飛鳥時代
原産地は東アジアとされてきたが諸説ある。古代遺跡からの小豆種子の出土例では日本が最も古いことから、日本が起源という説も。また、『古事記』にも小豆の名が記されている。

えんどう、そら豆 
奈良時代
えんどうは新石器時代の遺跡から種子が発見されており、人類と古いかかわりを持つ豆のひとつ。日本へは遣唐使が中国から持ち帰ったとされる。そら豆は西アジアや北アフリカで発祥したと考えられており、中国には前漢時代(紀元前126年)に伝わり、日本へは奈良時代にインドの僧侶によって、中国経由でもたらされたという説もある。

ささげ
平安時代
アフリカが原産と考えられており、平安時代の東大寺の記録に、ささげを意味する豆の名が残されていることから、この頃までに中国から渡来したと考えられている。

いんげん豆 
江戸時代
中央アメリカから南アメリカが原産地と考えられている。ヨーロッパ経由で中国に伝わり、江戸時代(1654年)に中国の渡来僧 隠元によって伝えられたという説が一般的。

落花生
南米原産で、日本へは中国から伝来したため「南京豆」の別名がある。日本での本格的な栽培は1874年、政府によるアメリカからの種子の導入と栽培の奨励から。

べにばないんげん(花豆)
江戸時代末期、オランダ人が持ち込み、花の観賞用として栽培。食用としては明治時代に入ってからで、1914年には北海道で本格的に栽培を開始した。

 

出典:関東農政局Webサイト

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